すべての苦労が今の仕事に生きている

ロサンゼルス ビジネス コンサルタント コーチ珠算能力検定、珠算・暗算満点10段合格という記録を持つ田村玲子さん。

 

現在は、ワールドピープルUSAの代表として教育と起業のコンサルタントとして活躍している。大学・大学院での専門が教育学だったという彼女が一見畑違いとも見える起業にたどり着いた経緯を語ってくれた。

日本の大学で教育学専攻だった田村さんは、日本での就職が決まっていたにも関わらず卒業直前に恩師に勧められ1990年に渡米した。アメリカの大学院で教育学を学びながら、ボランティアとして特技のソロバンをアメリカの子供たちに教えた。

 

大学院卒業後は、ワシントン州にある大学で日本人留学生のカウンセラーとして働いた。この大学では、4カ月ごとに海外から200人の学生が英語やアメリカ文化を学ぶためにやってきた。そこで学生とアメリカ人講師との間に起きる問題を解決するのが田村さんの業務だった。

 

「仕事 は大好きでした。国際的な雰囲気でいろいろな人と関わることができました。そこでだんだん国際ビジネスに興味が出て来たんです」と田村さ ん。

 

立ちはだかるビザの問題

すると自分に欠けているものが見えてきた。「私にはビジネスの経験がなかったので基本を学ぶためにはMBAが必要だと考えました。教育学だけでは世間は認めてくれません。大企業にいたり長年の経験があればいいのですが、それがない私は(能力を)証明するものが必要だと思ったのです」
国際経営に定評があるアリゾナ州サンダーバード大学でMBAを取得し た取得後(2重)は、組織としての企業がどのように動くかを知るために日本企業のアメリカ支店で4年半勤務した。会計として働きながら起業の準備を進めた。

 

会社の設立は2003年4月。しかし、H1-Bビザで働い ていたため、外国人について回るビザの問題が立ちふさがった。永住権も市民権もなかった田村さんは、投資ビザを取得する必要があった。通常、投資ビザの取得にはアメリカで起業した会社への資本の額がものを言う。決まった資本金の額があるわけではなく、一般的に10万ドルから15万ドルが必要だとされている。

 

田村さんは、会社員として働いていた時の貯金や投資などで必要金額を貯めた。しか し、必ずビザが取れるという保証があるわけではない。「本当に一か八かでした。ビザが下りなければ日本に帰るつもりでした」と田村さん。
ビザが無事に下りたのがその年の11月だった。「創意工夫による投資が良かったのではないか」と田村さんは分析する。翌月に退社し1月から自分の会社の業務に専念することができた。

 

「永住権や市民権がある人と比べて自分は(ビザの面など)すごく苦労 していると思います。でも、それがすべて今の仕事に生きているんです」と田村さんは語る。

 

アメリカは実力社会

ワールドピープルの業務は、起業や留学など、アメリカで新生活を始める人たちの支援。日本企業向けに市場調査や管理職専門の国際ビジネス研修のコーティネートも行う。

 

起業には、ビジネスプランの設計やビザ、PR、市場調査、弁護士、会計士など、さまざまなものが必要だ。ワールドピープルでは、独自のネットワークから最適なブレーンを紹介する。

 

「多くの方は(起業につ いて)あらかたをインターネットで調べていらっしゃいます。でも実際に起 業する時には、もれがあってはいけないので手助けが必要だと思われる のでしょう。不安があるので誰かに背中を押してもらいたいんだと思います。」
起業のプロが自分のアメリカでの起業の頃を振り返ってこう語ってくれた。

 

「アメリカの良いところは、実力社会ですから新規企業でも実力があれば認めてくれるところ。日本では市場に食い込むのは難しかったかもしれません。そして振る舞いも重要です。弱気にならず、丁重でも断 固とした態度が必要です」

 

「起業って聞こえはいいですけど甘くはありません。起業が自分にとって向きか不向きかを考え、明確なビジネスプランを持つことが大切です。業務内容についても『社会から求められているか』ということが重要です。そして、『これ!』って決めたら迷わずに実行して下さい」